156


本当に久しぶりのブログの更新ですが、皆さんお元気でしたか?


今日は神戸西山記念会館で開催された【スワミジと癒しのインド音楽の調べ】に行って来ました。スワミジが関西で講和会を開かれるのは1年ぶりのことで、昨年10月14日に芦屋ルナホール以来の会でした。昨年のスワミジの会は、神戸にアンマを招致するための露払い的な要素があったそうです。その甲斐あって今年5月にはスワミジの師であり、抱きしめる聖者として世界的に有名なアンマが来神され、本当に多くの愛を体現してくれました。今回の会も来年またアンマを神戸に招くための企画として大いに期待されるところです。


今日この会に参加して、久しぶりに私自身の魂が大きな光に包まれていることを実感できました。今年に入ってから、私の中でスピリチュアルと現実のバランスを取ることこそが大切だと思って、敢えて現実社会の中で地に足をつけて生きていこうとしてきたような気がします。その結果、時に不自然なほどスピリチュアルを意識しない自分がいることに気がつきました。現実を強く意識する余り、自分の魂と向き合う時間すら蔑ろにしていたのだと思います。その結果、私の傾向性でもある左脳すなわち頭を使って考える生き方が中心になり、昔の自分のパターンに陥っていたように思えます。


私が頭で考えていた“スピリチュアルと現実のバランス”というのは、意識的に心で感じることを封印していただけだったのかもしれません。その結果、今年に入ってから何か満たされない空虚さと、自分の目標が見えないもどかしさを感じていたのだと思います。そんな心の状態でしたので、スワミジが講和で語る言葉が、乾いた大地が水を吸い込むように、スゥーと心に沁みこんできました。


【 人は誰でも至福を求めている 】


至福とは心の平安であり、心の中の神(宇宙)と自分がつながった時にこそ手に入れられる宝物です。その宝物の存在を、私はここ数ヶ月忘れていたようです。現実を強く意識するがあまり、グラウンディングを強くしたいと願うがあまり、本当に大切な心の声に耳を傾ける時間が疎かになっていました。私にとってのスピリチュアルとは、決して現実からの逃避ではなく、よりよい人生を築くための栄養であり、光と愛の供給を受けることに他ならないのだと改めて実感しました。何よりも私たちの実態は成長を続けている霊的な存在であり、霊的存在が肉体という衣をまとってこの地球で魂的な進化のための学習をしているのです。私の魂が光を求めていました。愛を求めていたのです。自分自身を光で、そして愛で満たすことの大切さを再確認できた素敵な時間でした。


まだまだ書きたいことはたくさんありますが、今日はこれで終わりにして明日続きを書きたいと思います。